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奪われたい自由

 ひと言で「奴隷」というが、程度の違う状態を幅広く含んだ言葉だ。

 相手に首っ丈という意味で使う「恋の奴隷」から、リンカーンが開放した「他人の所有物としての奴隷」まで、拘束の度合いが大きく違う。

 SMにおける奴隷が歴史上の本物の奴隷と根本的に違うのは、「所有されることを、本人が望んでいる」という点だろう。SMの奴隷は、自分の自由意思で誰に仕えるかを選べる訳だ。
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支配と服従

主従関係は必要か?

 真性のマゾヒストと根っからのサディストならば、それ以外の関わり方を求めないかもしれない。むしろ、そんな選択肢があること自体が、邪魔でしかないのかもしれない。

 しかし、ぼくらは人間だ。ぼくが人間であるように、あなたも人間だ。ほとんど人間は、人間であること、人間として正しく扱われることをを望むものだ。

 好いた相手と同じ感動を同じ視点で供給すること、その喜びは人間ならではのものではないだろうか。よく引かれるサン=テグジュペリの「愛はお互いをみつめあうことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」を待つまでもなく。
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支配と服従

奴隷に対する所有感

 人と人の関係は対等であることが望ましいが、現実には対等な関係ばかりではない。

 SM的な主従でなくとも、支配と服従という関係は存在する。例えば、いじめっ子といじめられっ子。パシリという名目で食べ物やジュースを買いに行かされたり、小遣いをせびられたりするケースがある。これは、支配と服従の構造である。

 また、DV夫と妻の関係もそうかもしれない。暴力の脅威によって、相手を自分に従わせる。肉体的なDVでなく、モラルハラスメントという外からわかりにくい形で、相手を支配する場合もある。もちろん、妻が支配する側に回ることもある。
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支配と服従