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ソフトSMだから安全?

 主従関係と恋愛関係が両立しない性質のものだという根拠は、端的に言えばパートナーと向かい合う姿勢がまるで違うからだ。
 
 それについては、これまでにも繰り返し書いてきた。対等な関係、流動的な役割では、主従関係は成り立たない。奴隷は奴隷としての分をわきまえ、主は主としての役目に徹する必要がある。
 
 その違いをサディストが事前にはっきりと説明せず、「主従関係を試してみよう」などと持ちかけ、なし崩しに相手を所有・支配してしまおうとするのは、かなり性質の悪い行いに見える。
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恋愛とSM

不可逆な変化

 このブログで書きたいのは、「SMはすべきではない」という主張ではありません。「SMは危険だ」という警鐘です。

 主従の関係がカップルの数だけあるというのは概ね正しいと感じますし、主従だけがSMとも言えないとも思います。だから、ぼくが経験したような事態とは無縁なSさん、Mさんも当然いらっしゃるでしょう。

 マゾヒストの側が恋人としての扱いを望まない場合、主従の関係は安定します。これは、最も根源的な矛盾である「恋愛とSMの相克」が生じないからです。そして、それでいいと言っているMさんが多いことも知っています。

 しかし、直接にお話を伺ってみたり、ブログ等の内容から本音を推し量ってみると、本人が心から納得している訳ではなく、「ご主人様や女王様の側にいたい。だから、奴隷であることを我慢する」という人も少なからずいるように見えるのです。
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恋愛とSMの違い

 SMにおける最大の相克(矛盾)は、「マゾヒストのパラドックス」や「サディストのパラドックス」で書いたように、「愛する人の主や奴隷になった途端に、あなたが愛した彼または彼女が次第に姿を消し始める」というパラドックスだ。

 相手がサディストとして優れていればいい、美しくて淫らで従順なマゾヒストであれば、それ以上の個性や人格を求めないというなら、この種のジレンマは生じない。むしろ、それは望むところである筈だ。

 恋は混沌としていて、予測がつきにくい。どちらが相手にどんな喜びや影響を与え、どちらが主導権を持ち、どちらがどんな形で相手を支えるか。その展開や役割は流動的であり、理想のありようが一つではないことがそれぞれを鍛え、混沌から人は自分の生き方を学ぶ。
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