サディストなのは恥? 誇り?

 普通に利用している分には匿名性が確保できることもあって、ネット上で自分がサディストであることを、自慢げに語る人を最近よく見かける。

 リアルでサディストだと名乗るのは、「性格がサド」というならまだしも「性的嗜好がサド」という意味だと、周囲から白眼視されかねない。だから、リアル割れの危険がないネットで、その憂さを晴らすことになるのだろう。

 誤解を招く言い方かもしれないが、私はサディストであることは恥だと感じている。お互いに敬愛し合える人間関係を築けることが、大人の重要な要件の一つだと思うが、SMはそれと正反対の関係だからだ。

 自分の意思でスイッチを入れた時だけサドになり、それ以外は人として正しいスタンスで他人と向き合う。口では簡単にいえるが、実際には至難だろう。そんなに器用にまったくの別人格にはなれるものではない。

 一つ前の記事「精神の成熟とサディズム」と関連するが、精神的に未成熟なサディストほど、自分がSであることをアピールしたがるように感じる。そして「SM中華思想」にあるような自己賛美に終始しやすい。

 SM嗜好の持ち主であることは、少なくとも悪いことではない筈だ。そう感じる一方で、それを誇らしげに吹聴するのは間違った姿勢と感じる。やや恥じ入っているくらいなのが、ふさわしい態度だと思う。

 サディストやご主人様という前に、人として自分をどう捉え、周囲とどう向き合っているか。初めてSMに触れる人が相手の器量を量る上で、この視点は役立つのではないかと思う。

「サディストなのは恥? 誇り? 」 is writed by マスターOB@SM主従関係の相克.
category
支配と服従
genre
アダルト
theme
「生き様」としてのSM